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首都大学東京が元の都立大学に名称変更 [コラム]

首都大学東京が元の都立大学に名称変更すると
https://news.biglobe.ne.jp/topics/domestic/0824/82187.html
で報道されています。

 この大学のHPを、本当にたまにですが、拝見します。2週間ほど前にも覗いてみたのですが、邪気が一層パワーアップしている感じで、うわーと息苦しくなりました。そしたらこんな変な話が浮上したので、爆笑してしまいました。

 私は、15年ほど前に石原都政の下で大学改革が進められた時期を前後に数年、この大学にお世話になったのです。
 縁のあるものとして、私自身は、名前が東京都立大学に戻るのは嬉しいのです。
 やっぱり首都大学東京っていうのは…。
 それならいっそうのこと、首都大学にしてしまえばいいのになんて思っています。

 もともと名称を変更する必要があったのか?という気分もありました。しかし、大学に巣食う悪魔を撃退したくて、名称を変えたという一面もあるのでしょう。当時は、私が、どれが味方でどれが敵かという判断ができていないので、石原都知事が無茶苦茶なことを言い出していると思っていました(苦笑)。しかし、今から考えると、右翼の象徴と感じていた石原慎太郎さんの方が私の味方だったとは…。分からないとは罪深いもので、すみません。とは言え、私は別に大学改革反対でもなかったし、反対派に共鳴したことなんて一度たりともありませんでした。
 
 大学改革を振り返ると、スムーズではなく、反対派が凶暴になっていったので、出産したり乳幼児を抱えた当時の私は、自分の活動とは関係なく波風立つのが、不気味で不安だったことを思い出します。「この火の粉は、必ず私のところに来る。」という確信もありました。

 当時の都立大学の雰囲気は大学としては珍しく、大学自体が息をしているというか、そこそこ健全だったというイメージがあります。おおらかで、ギスギス感がないのです。だからと言って、教授陣が二流かと言えば、私がお世話になった分野では、素晴らしいエキスパートの方々が揃っていたと思うのです。もちろん、箸にも棒にもかからないで、ひたすら威張っている絵に描いたような大学教授も何人もいましたが、そんな人たちが大手を振って歩いてはいませんでした。
 
 なお、息しているの?って感じた究極は、東大物性研です。東大系は、予算の割に抱えている職員や学生さんが少ないのに、装置だけは沢山あるので、無機的で寂しい雰囲気を漂わせていたのを、息をしてないと私が感じたんだと思います。今はさぞかし頭の足りない留学生で賑わっていることでしょうね。アホくさい!
 一方、都立大学と同じように、すごく元気ではないにしても息はしているのかなと感じたのは、大阪大学でした。

 良い先生は、必ずと言って良いほど、学年に関わらず学生を大切に扱いますが、ダメな先生は学生を放置した上に踏み台にします。
 当時の都立大学は、良い人が先生が多かったためか、よそ者の私は単位を取るのに、とても辛い思いをしましたが、授業がそれなりに血となり肉となる感じを受けました。都立大学を一貫して進んできている人たちは、かなり活発な議論をしていて驚愕しました。でも、今のHPを見たら、きっとこんな風景は“兵どもが夢のあと”なんでしょうね。

 15年前の石原都政での大学改革は、その時期だけを切り取ったら大敗北を喫していると言わざるおえないです。私を大切にして育て守ってくれた先生方は、大学改革に従っていました。反対派の先生方の活動も、この目で見てきました。こんなことを言うのもなんですが、反対派は、本当に馬鹿ばかりでした…。
 そんな中、終盤の3年は、本当に綱渡りのような不安定な日々が続いたと思います。その間、
 「あなたは、こんな人たちに仕えるのではなく、自然科学に仕えなさい。」
 という言葉が浮かんでは消えるのです。

 次に、私は首都大学東京との縁も切れ、家庭人として生きる道だけが残された時に、
 「あなたは、家庭を大切にして、生き延びて、別の形で自然科学に仕え続けてください。」
という声が巡りました。その言葉に、
 「じゃあ、どうすりゃいいのよ。」
 って、何度も反駁した覚えがあります。
 「あなたは、勝ちました。自分で考えて必ず自然科学に仕え続けてください。」
 と返事があるのみです。
 「いやー大敗北だろ。」
って思っていましたが。

 10年以上の月日を超えて、あの当時を振り返ると、当時では分からなかったことが見えてくるものですね。

・先生方は、どこの馬の骨かわからないような流れ者の私を信じて、一つの仕事を任せ、陰に日向に補助を付けて下さり、長い目で見守って、まとめさせてくれたり、

・いよいよ最後になり、危険が迫った時に、自分たちは危険でも、子持ち女の私は安全な場所(家庭)に逃がした、

 その当時の私は納得しなかったけれど、最善の選択が、他者によってなされていたのです。
 こんな感じで、今となっては、すごい力が働いて、私自身が都立大学に守ってもらったという実感が湧くのです。

 昨今、女の方が優秀だなんて言いますが、人間の優秀性なんて、精神力+知能指数+体力+時間のトータルですから、大抵が、男>女や男<女なんてことはないです。これらを推し量って、個別に判断されていたことも結構多いと思います。
 もちろん家柄や性別などのみで判断されることも残念ながらあると思いますし、ここ20年で、この傾向が強くなってきたと思います。
 ただ、20年前くらいには個別に正当に判断されているケースもかなりの割合で存在したとしか思えません。当然ながら、性的な役割の違いが社会的立場の違いとして現れていたとは思いますし、それは一般的な型として、今後も、残した方がいいと私は強く思っています。でも、人間の社会ですから、型からはみ出る人のために、是正が必要なところもあります。当時でも是正に値するところは個別に判断されて是正されていたと思います。そして、20年前の都立大学には個別に判断される土壌が、十分にあったと思います。
 この様な経緯を経てきているので、私自身は、日本が昔からよく言われているような男女差別の塊の社会だなんて、みじんも思っいません。


 小池都政が生まれた時に、小泉チュルドレンだから、またエライ鬼門の人が知事になったなという自分の感覚と裏腹に、世間からの期待が高かったので、首都大学を観測してみようと思ったのです。
 しかし、大学のHPでは邪気は増え凝るばかりで、息なんかしちゃいません。ここで名前を戻して、石原都政の大学改革を闇に葬るつもりなのでしょうね。意地汚い手段です。賢い賢い都民が選んだ偉大なる指導者のはずでしたが、残念です。都議会議員選挙では、自民党が大勝していますので、名称変更のみではなく、大学改革の経緯と反省、そして今後の立て直しも考えていただけたら嬉しい限りです

 大学全てを無くしてしまい、型を潰してしまった時に、次の代案は何なのでしょうか?グーグルやアップルの奴隷なのでしょうか(お〜怖)。型は潰してはいけないのです。
 都立大学は、私が知っている限りでは、一番最後まで、健全に息をしていた大学の一つだと思います。すごい大学なんですよ、都民・都議の皆様!
 是正すべき点を是正して、進化させるよう、(自分の母校はそっちのけですみませんが、)何とか都立大学を今後の大学再建の先駆けにしていただきたいと思っていますが、小池都政では厳しいかな?そうこうしているうちに、第三次世界大戦勃発で、世の中すべてが消え失せるかもしれないです。ですから、話は半分で聞いてください。

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